田中 繁男
展転社 刊
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この記事は2007/7/11に作成しました。
物語 神功皇后〈下〉
田中 繁男
展転社 刊
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夫君の仲哀天皇を亡くしたとき、気長足姫皇后(神功皇后。じんぐうこうごう)は、すでに身ごもっていた(長じて応神天皇)。皇子であることを知っている神(住吉大神)は、神功皇后に対し《仲哀天皇がなしえなかったことを、その胎中の皇子がなす》と神託を下した。神の御意のまにまに従う神功皇后は、胎内の皇子と共に、冬の海を新羅へと往還、帰国した直後、皇子を生んだのである。
翌年(辛巳。西暦321年)、故郷へ帰る皇子と神功皇后とは、皇子(応神天皇)には異母兄にあたる香坂(かごさか)忍熊(おしくま)両皇子に戦いを挑まれた。皇子の生命を守るため、播磨国へと至ったとき、神功皇后は皇子を武内宿禰に託し、紀国の日高へ疎開させた。
戦いの足手まといにもなるからであったが、本格的な戦いにならないうちに香坂皇子は横死し、それに気勢を殺がれた形の忍熊皇子は、宇治まで退却して長期戦の構えを取り、戦備の充実に打ち込んだ。
その間に今の大阪の住吉の地に、今まで世話になり、これからも世話になろうとする住吉大神を祭り終えた皇后は、その神の加護のまにまに(神ながらの道の始まりか)紀国へ皇子を迎えに行った。その帰途、紀ノ川まできたとき、忍熊皇子との間の戦機が熟したのを知って、武内宿禰に兵をつけては宇治へ遣り、自らは皇子を守っては住吉へ還った。
武内宿禰が宇治川の上流の瀬田川のほとりで忍熊皇子に勝利し、凱旋 してきて間もなくの冬10月、気長足姫皇后は皇太后となり、摂政となっ た。皇子(応神天皇)が成長して、即位できるようになるまで、政治を執っていこうとするのである。
こうした神功皇后のあり方、つまり、わが子を守り、助け、立派に育てていく姿に、日本人は感涙を催す。父の恩は山よりも高く、母の愛は海よりも深しというが、母の慈しみは楽を与え、父の悲しみは苦を取り除くともいう。
神功皇后は皇子を立派に育て上げ、母としての責務を充分に果したが、それは皇后が夫君の仲哀天皇とは異なり、素直に神を敬い、祭り、仰ぎ請い祈のんだからである
物語 神功皇后〈上〉
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